【店部推薦図書35】「トリツカレ男」いしいしんじ(新潮文庫)



いしいしんじは1966年生まれの小説家。2000年に初の長編小説『ブランコ乗り』で本格デビューし、『トリツカレ男』はその翌年に発表。
2012年に出版された『ある一日』で織田作之助賞を受賞されました。おめでとうございます。

80年代は物語が崩壊・解体する時代ではなかったでしょうか?
どんどん外面の加速度が増し、内面の物語が欠如する過程として80年代をとらえれば、90年代は廃墟となった空間からのリハビリ期間と言えます。
そして2000年以降は、そんな過去のトラウマにとらわれず、または関係ないかのように、新しい物語を作る時代になりました。
いしいしんじは2000年代を代表するストーリーテラーの1人であることは間違いありません。

本作の主人公「ジュゼッペ(トリツカレ男)」は様々なものにトリツカレます。この設定はセルバンテス『ドン・キホーテ』、フローベール『ボヴァリー夫人』のズルムケな本歌取りともいえます。

ドン・キホーテは騎士道物語を読みすぎ、現実と虚構の区別が付かなくなり旅に出ます。
ボヴァリー夫人(エマ)はロマンス小説の読みすぎで結婚生活に満足できず、許されぬ恋路に走ります。

ジュゼッペもオペラに、三段跳びに、ハツカネズミにトリツカレ、病的に熱中し、現実と乖離します。ですが、愛するぺチカの存在によって、トリツカレることは笑い話になり、決して世界(現実)のなかで孤立することはありません。
そして、このラブストーリーは「できすぎた結末」へと進んでいきます。
正気に戻り、寂しくまわりに詫びを言いながら死んでいくドン・キホーテや、絶望の末気が狂い自殺するエマと比べると、なんという違いでしょうか。

この作品には、クラシックな寓話的装置を模倣しつつ、物語(小説)が復活していく希望を感じることが出来ます。

<*寓話(ぐうわ)とは、比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭す事を意図した物語。(Wikipedeaより)>

そして、今の日本が寓話的段階に入ったのでないか?と、そんな考えがふと浮かびました。

津波が押しよせ、原子力発電所が爆発したあの風景、特にそこから遠くはなれた人びとにとっては、寓話のような世界に見えているかも知れません。見慣れた世界だが、何かが確実に違う世界。
80年代に「物語」が受けた仕打ちと同じく、内面(心)と外面(環境)の速度差はどんどん激しくなっており、それでもなお、現実はどこまでも追いかけてきます。
心と環境があまりにも離れてしまえば、(ドン・キホーテのように)世界は崩壊するか、何らかのシステムによってむりやり管理維持するしかありません。

『トリツカレ男』の最終章にある「ごくふつうのふわふわパン」は、偶然にも、世界の再生を象徴している気がします。
ドン・キホーテやボヴァリー夫人にはなれなくとも、ジュゼッペとペチカには誰にでもなれるのです。

150円で販売中。